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2016 帰国しました

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エキー!(トゥバ語でこんにちは!)

皆様ご無沙汰しておりますお元気でしょうか?
僕は先週トゥバから帰国し、荷物の片付けや雑務に追われていたところです。

今年も様々な人たちにお世話になり、大変充実した滞在をすごすことが出来ました。

毎年3ヶ月程度の夏の滞在も今年で7年目になり、友達の子供とかしばらく見ないうちに本当に大きくなっていて驚いたり、同世代の知人も責任の有る役職につきトゥバを盛り上げるために頑張っているのを見たりして、なかなかに時間の流れを感じます。それと同時に「リョーヘイは夏になれば毎年いる」のが当たり前になってきているので良くも悪くも珍しくなく、滅茶苦茶に連れ回されること(これは彼ら流のもてなしだったりする)が減ってきたのは落ち着けて嬉しくもありちょっと寂しい所でもあります。

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さて、今年の個人的な反省は、ちょっとトゥバ語が勉強不足だったことです。
というか日本での学習がロシア語中心になってしまい、以前に比べてロシア語が理解できるようになってきたので相対的にロシア語で話す機会が増え、トゥバ語でやり取りする機会が落ちて、中途半端なチャンポンになってしまっていました。

しかし難しいところで、都市部に住むトゥバ人はロシア語を母語のように話す人は多く、一度の会話に中でもトゥバ語とロシア語を頻繁に切り替えながら話すことも多い。むしろチャンポンがデフォルトと言っていいくらいです。トゥバ語も動詞だけロシア語を使用したりトゥバ語の中にロシア語が混ざってしまう状況が問題視されており、僕も「こうやって言語が薄くなっていくのか」と最近身をもって感じています。

トゥバはロシア連邦の中でも高い母語の保有率を誇りますが、それでも若年層を中心にロシア語化は進んでいますし、古いトゥバ語、難しいトゥバ語を知らない人は増えていて統計では現れないところで、前述のように「薄く」なってしまっています。

ただ、正直ロシア語が出来なければあらゆる情報にアクセスできません。多くの書籍やインターネット上の情報はロシア語で、将来の教育を考えるとトゥバ人の親御さんもお子さんにロシア語を勉強させる状況は仕方が無く、非常に難しい問題だと感じます。

 僕自身は、トゥバ語を多少話す外国人です。トゥバ語を話せないトゥバの若者たちに出会う機会が結構ありますが、驚かれます。そして普段ロシア語しか話さない若者も、がんばってトゥバ語で話し始めたりするケースを何度も真にあたりにしました。僕は別に学者ではなくただのミュージシャンですが、外国人である自分がトゥバ語を勉強することは影響力が大きく、それだけで彼らの力になれる部分もあるのではないかという気がしています。
 とはいえ、トゥバ語の教材は非常に少ないため独学が難しく、ロシア語が出来れば非常に便利で様々な情報にアクセスできるので非常に悩ましいところです。・・・まあ自分の選んだ道だし音楽やりながらも楽しみながら、地道に語学はやっていくしかないかなと、最近改めてそんなことを思っている次第です。

上の写真は友達の楽器職人の家で、彼の子供と一緒に。フレットつきのドシプルールを、魚の皮で作ってもらいました。
下の写真はトゥバクズのメンバーと。今年はトゥバ人民共和国設立から数えて95周年でフェスティバルがありました。
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by teradaryohei | 2016-09-21 01:03 | トゥバ日記 | Comments(1)

「タイガ」と「トジュ」

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俺はウドゥゲン・タイガに住んでいる
俺の体にはスゲの匂いが染み付いてる
俺はチャルム・タイガに住んでいる
俺の体にはビャクシンの匂いが染み付いてる

種トナカイに乗って行ったなら
俺に仕留められないメスノロジカなんていないさ
メストナカイに乗って行ったなら
俺に仕留められないメスアカシカなんていないさ


         өдүген тайга ウドゥゲン・タイガ (トジュ地方に伝わる、トナカイ遊牧・狩猟採集民の歌)


トゥバ共和国はモンゴル高原の草原地帯と、シベリアのタイガがちょうど交じり合う場所に位置しています。
ステップにおける移動式テントを中心とした遊牧生活の営みは遊牧民としてのトゥバ人の原風景ですが、タイガの奥深くへ入り、クロテンや鹿を仕留め、松果やベリー類を集める、、、そんな狩猟採集民としての顔もトゥバ人にはあります。

夏休みになると多くの人たちがこぞってタイガへ向かいます。男たちはハンティングに、女性や子供たちはタイガに自生するベリー類を摘みに出かけ、長い冬に備えてたくさんジャムを作ります。またタイガのシベリアマツに生る松果「トールック」はトゥバ人たちの大好物。栄養価が高く、体にも良いとされています。そんなタイガで過ごすため、中には休暇期間1~2ヶ月まるまるタイガのダーチャ(別荘)やアール(宿営地)で過ごす人も珍しくありません。

タイガというと鬱蒼とした原生林を思い浮かべる人がほとんどだと思うのですが、トゥバの人たちはもう少し、木があまり生えていない、荒涼とした山岳地帯のこともタイガと呼んでいます。トゥバ南西部、ムングン・タイガ地方はトゥバでもっとも高い山々が連なる山岳地帯。こんな土地もトゥバの人たちにとってはタイガのようです。

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トゥバのムングン・タイガ (2010年撮影)

僕も毎年トゥバを訪れるたびに、何度もタイガへ連れて行ってもらいました。
大自然の中できれいな空気を思いっきり吸いながら松果を集め、実をかじって食べたり、森の中で腹ばいになりながらベリーを集めたりしているうちに、徐々に花や植物を自然と愛でるようになったり、鳥や動物の鳴き声に敏感になったりして、こういった環境がトゥバの音楽に影響を与えて来たんだと感じるようになりました。

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松果(トールック)を集める

今年は縁あって、今まで行きたくても行けなかったトゥバ東北部、トジュ地方を訪れることができました。
トジュ地方はシベリアや北方世界で広く営まれてきたトナカイ遊牧の発祥地と考えられており、トナカイ遊牧民、狩猟採集民としてのトゥバ人の姿が最も色濃く残っている場所かも知れません。

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トゥバの「イビジ」(トナカイ遊牧民)

「トジュを見ずしてトゥバを語るな」という諺があるほど、トジュ地方はトゥバのなかにあっても独特の文化を保った秘境ともいえる場所で、トゥバ人さえもが結構な人が訪れたことがありません。しかし、そんな諺があるほど、トジュは本当に美しい土地。自分もいつかは行ってみたいと長年思い描いてきました。

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トジュ地方はトゥバの東北部にある

今回は友人の従兄弟がトジュの集落で商店を営んでいるため、その仕事のついでに車に便乗させてもらうことができました。

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トジュへの道のり

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川の動力を利用した橋渡し

夜9時ごろ首都クズルを出発、夜中1時ごろ峠の小屋に到着。一泊し、系10時間ほどガタゴト道に揺られ、やっとトジュの中心的な集落であるトーラ・ヘム村に到着しました。ガタゴト道といっても割と最近開通した道で、ソ連時代はヘリで行くしか手段がなかったといいます。

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トーラヘム村

トーラヘムに着いてまず感じたのは、ロシア人が多いこと。通常トゥバは田舎に行くほどロシア人の人口比率は下がっていくのですが、トジュは田舎にしてはロシア人が多い。しかも最近住み始めた感じではなく、完全に地域に溶け込んでいる。同行した友人の話によると、帝政時代からロシア人が金鉱採掘のために徐々にトジュに入植してきたのだそうで、何世代にもわたってトゥバ人と一緒に暮らしてきたのだそうです。

トーラヘムに着いた僕は、まずトナカイを見たいと思いました。ところが村の中を見渡しても、いるのは牛ばかり。
同行した友人に尋ねると、

「ここにはいない。今はタイガのかなり高山地帯に行かないと居ないんだ。」

1980年代初頭、外国に対して完全に閉ざされていたトゥバに奇跡的に入ることに成功し、日本人として一人目のトゥバへの入国者となったジャーナリスト、民族学者の鴨川和子さんは著書「トゥワー民族」の中で、当時ソビエトのソフホーズ生産管理化の下、トナカイ遊牧民やリスやクロテンなどの毛皮を取るハンター達を取材し、トジュ地方の人たちの豊かな暮らしぶりを活き活きとレポートしました。

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しかしソビエト崩壊後ソフホーズ体制は崩れ、トナカイ牧民やハンターたちは現金経済の中に投げ出されることになります。金勘定に慣れない多くの牧民は困窮し、仕方なくトナカイを売り払い、数匹のトナカイを連れてタイガに入っていく牧民が一人、また一人と増えて行ったそうです。彼の話によると、10年前は10000頭居たトナカイも、今は500頭しか居ないと言います。またクロテンなど、昔はドル箱であった毛皮類の値段も暴落し、昔からの暮らしが崩れたトジュは現在高い失業率に苦しめられています。

トーラヘムでは昼間から酒で酔っ払った失業者がちらほら見られ、至るところに酒瓶が転がっていました。
同行した友人は、10年前訪れたときよりも町が汚くなってると僕に語りました。

トジュにはもうひとつ大きな問題があります。トジュの一地域を中国が買収し、資源採掘のコンビナートが建設されたことです。トジュに向かう途中、何度も何度も木材や石炭などを積んだ巨大な大型トレーラーとすれ違いました。この地域には多くの中国人労働者が入植し、資源開発を進めています。多くのトゥバ人にとっては、祖国の資源が外国に略奪されているように感じられるようです。これは歴史的に清朝時代は中国に支配されていたり、ほとんどのトゥバ人が敬虔なチベット仏教徒であることもあり、対中国に対する感情が全般的に良くないことも関係しているように思います。ただ現実的に資源採掘によってトゥバ人にも雇用が発生していることもあり、トゥバ人の中でも意見が割れているようで、複雑な問題だと感じました。

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コンビナート近くの看板。 看板に漢字が書かれているのはトゥバでここにしかない

僕は昨年の8月後半にトジュを訪れたのですが、同時期に大阪の国立民族博物館のプロジェクトチームがトジュに調査に訪れていたそうで、岩波書店の広報誌にモンゴル研究で著名な小長谷有紀先生によるレポートが掲載されていました。その中で、今回プロジェクトのためトジュに同行していた佐々木史郎先生(北方民族研究)が以下ように述べられています。

「トジュ地方に限らず、トナカイ飼育はソ連時代に食肉産業として発展したが、現在は地方政府の補助金で維持されていることが多い。外界から隔絶された山奥での補助金漬けの生活に嫁いで来る女性はいないから、次世代再生産が出来ない。トナカイを飼い、そのミルクを絞り、トナカイに乗って狩猟に出かける。今回撮影したそんな生活は早晩なくなるだろう」


僕のトジュ滞在は、残念ながら今回は短い期間のため一番の目的であったトナカイ遊牧を見ることが出来ませんでした。しかし自分としては先に述べたように多くの問題を考えさせられるきっかけとなった、思い出深い滞在となりました。

ではトジュの滞在で暗い気持ちになったのかというと、そんなことはありません。

今回友人の紹介でトジュに暮らす面白いロシア人の若者と知り合いました。モスクワ出身の彼はインドやチベット、ヨーロッパなどさまざまな土地を移り住んだ後トジュに流れ着き、トゥバ人の女性と結婚しました。ロシア正教徒である彼と、チベット仏教徒であるトゥバ人の奥さんは2人の子供をもうけ、幸せな家庭を築いています。世界中さまざまな場所を見てきた彼は、トジュに住みながらも自由でオープンな考えの持ち主で、「将来クズルからセスナ機を飛ばし、アザス湖(トジュを代表する広く美しい湖)に着水させたい」とわくわくするような夢を僕らに語ってくれました。彼のようなユニークで能力のある若者の力で、トジュの未来が明るいものになってくれることを願ってやみません。

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トジュは本当に美しい

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樹齢数百年の木がごろごろしている




さて、最後に1本の日本映画を紹介したいと思います。「タイガからのメッセージ」という映画です。

この映画の舞台はトゥバよりずっと東、ウラジオストックの北東部にあるビギン川流域のタイガと、そこに暮らす先住民ウデヘの人々を追ったドキュメンタリーです。

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非常に美しい映画で、現在公開中ですので内容は是非見ていただきたいのですが、この映画を見て僕は、ウデヘの人たちにとってのタイガと、トゥバの人たちにとってのタイガは、限りなく近くイコールに思えました。

そして、言わば僕と同じようにロシアの先住民族の人たちと関わり続けながら、彼らを外国人としての立場からサポートしようと活動し続けているこの映画の製作スタッフの人たちに対し、僕は尊敬の念を禁じえません。

僕はトゥバの人たちからトゥバの音楽を教えてもらっています。ただ「貰って」いるだけの、一人のミュージシャンに過ぎません。僕もこれからトゥバに関わっている「外国人」として、彼らのために何が出来るのか、どういった力になれるのか、今はそんなことを漠然と考えているところです。


「タイガからのメッセージ」トレイラー
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by teradaryohei | 2013-03-29 22:51 | トゥバ社会 | Comments(0)

トゥバと「スキタイ」

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「スキタイ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?高校で世界史を選択していた方なら、もしかすると教科書に載っていたかもしれません。

スキタイとは現在もっとも古くに存在したと考えられている遊牧国家(遊牧騎馬民族集団)のことで、紀元前7~前4世紀ごろ(?)存在したと考えられています。

チンギスハーンとその息子たちが活躍したモンゴル帝国はご存知かと思います。歴史上中央ユーラシア地帯ではそれ以前にも、遊牧を主な生産手段としながら、騎乗を得意とし独自の軍事組織、社会制度を持った集団、もしくは国家が興亡を繰り返してきました。

彼らは中国やヨーロッパなど、当時の先進的な定住農耕地帯の国家と匹敵するか、あるいはそれを凌ぐ強大な軍事力を持っており、またそれらの地帯の国家とはまったく異なる社会制度をもっていたため、定住社会の住民にとっては常に脅威に思われていたようです。(同時に、そのため野蛮な存在とも考えられていた)

しかし、中央ユーラシア草原地帯の歴史の多くは、未だに多くの謎に包まれています。なぜならば彼らの多くが文字を持っていなかったからです。そのため彼ら自身が自らの手で歴史を書き残すことが少なく、その多くが中国やヨーロッパの歴史書(例えば、ギリシャのヘロドトスや中国の司馬遷など)を紐解きながら推測?されてきました。しかし近年活発な考古学発掘調査の成果により、多くのことが明らかになってきています。

スキタイはもともと、北カフカスや黒海地方を中心に存在していたと考えられてきました。しかし1970年代前半以降、スキタイは東方の内陸アジア北部の草原から移動してきたのではないかという考え方が有力になってきました。その決定打となったのが、トゥバ共和国にある「アルジャーン古墳」での発掘調査でした。

トゥバ共和国の首都クズルから北西へ100キロほど行ったところにアルジャーンという小さな村があります。
аржаан/アルジャーンとは鉱泉のことで、トゥバの人たちにとっては一種の聖水であり、薬効があると考えられています。各地でこのように泉が湧く場所は保護され、人々の療養や憩いの場所となっています。

そのアルジャーン村の古墳で、1971年に発掘調査が行われました。
中(アルジャーン1号墳)からは墓の中心人物と思われる男女の遺骸が2体発見され、その周りには全部で15体の遺骸と、馬具を装着した160頭もの馬の遺骸が発見されました。
古墳の周りのいくつかの小石堆からは、羊、ヤギ、牛の骨が若干と、数頭分の馬の骨が発見されました。石堆全体で考えると、約300頭の馬が殺され、葬儀の参列者に振舞われたと考えられ、ロシアの研究者によるとそれだけの肉を一度に消費するとすると少なくとも1万人は必要だと推測されるそうです。これは当時この地方にそれだけの権力者がいたことを示しています。
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僕も昨年の夏アルジャーン古墳に行ってきました。この場所に権力者の亡骸があったはず

 また墓室は盗掘を受けていたのですが、その中からは馬具、武器、装飾品など多数の青銅製品が発見されました。(当時墓泥棒の目当ては金銀製品だけだった)これらの発掘品や古墳内部の木材などを科学的に測定した結果、それまで草原地帯西部にスキタイが出現した年代よりも古いことがわかったのです。

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アルジャン1号墳で出土された青銅製飾り板。トゥバではお土産品やTシャツのマークなどによく使われている。これはクズルの国立美術館に所蔵されている

 さらに2001年には、エルミタージュ美術館とドイツ考古学研究所の合同調査団が別の古墳(アルジャーン2号墳)の調査を行いました。その結果墓泥棒の盗掘を免れた、金製品だけでも5700点、総重量20キロにも達する遺宝をまとめて掘り出したのです。(現在はエルミタージュ美術館のシベリア・コレクションとして特別に鑑賞することができる)
これらの金銀製品からは初期スキタイ美術に典型的なモチーフやその萌芽ともいえる模様が確認され、また鉄製品も発見されました。
これらの発見から、スキタイが東方から移動してきたのではないか、という考え方がますます有力になってきたのです。

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アルジャーン古墳の現在の全貌。周りには木のユルタがひとつあるだけで、トゥバの人たちのちょっとしたピクニックスポットになっている

アルジャ-ン遺跡でこのような歴史的発見があったことは当然トゥバの人たちにも誇りであり、出土品はさまざまな場所でデザインのモチーフとして使われています。

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クズル中心にある国立美術館では、アルジャ-ン2号墳で発掘された金製鹿型飾りがシンボルマークとして採用されている

僕はトゥバに通うようになってから、様々な遺跡や壁画のある場所に連れて行ってもらったのですが、いまいち意味が掴みかねることが多くありました。その後もともと歴史好きだったこともあり、少しずつこの地域のこれまでの道のりを調べるようになったのです。そして自分がいかに中央ユーラシアの歴史について知らなかったかを痛感し、また同時に多くの日本の人たちもヨーロッパや中国の歴史を中心に世界を捉えているのではないかと思うようになりました。

「遊牧民は7代前まで先祖を言える」と言うように、トゥバの人たちも先祖への並々ならぬ思いを感じることが良くあります。それは音楽、特に歌詞世界にもしばしば散見されることで、彼らの歌や音楽からは、大げさかもしれませんがその演者だけでなく脈々とその文化を受け継いできた祖先の思いも詰まっていると感じることがあります。

僕もトゥバの歴史に関してはまだ勉強不足で分からないことも多いのですが、歴史にそのロマンを馳せることによってさらにトゥバの音楽世界の深みを感じている今日この頃です。


●参考文献: 林俊雄/遊牧国家の誕生 (山川出版社)
        林俊雄/スキタイと匈奴 遊牧の文明 (講談社)
        岡田英弘/世界史の誕生(筑摩書房)
        Дарбаа Юрий Кок-оолвич / Тыва дыгайында 99 айтырыгга харыылар
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by teradaryohei | 2012-06-10 16:19 | トゥバの文化 | Comments(0)

トゥバ人は相撲が大好き ~フレッシュについて 

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トゥバで最も人気があるスポーツと言えば?とトゥバの人に尋ねれば、誰もがこう答えるでしょう。「フレッシュだ」と。(※)

フレッシュとはトゥバ相撲のことで、お祭りなどの際には必ず行われる伝統的な格闘技です。

写真を見た方は、きっと「え、これってモンゴル相撲でしょ?」と思ったでしょう。でもトゥバの人にそう言うときっと猛烈に反論されるでしょう。そういう僕も初めてフレッシュを観戦したとき、友人にモンゴルと一緒でしょ、と言ったところ「違う。モンゴルのスタイルは膝をついていいんだ。トゥバのフレッシュは膝をついたら負けだ」
と怒られました。
 (トゥバは文化的にはモンゴルに大きな影響を受けていますが、自分たちはモンゴル人ではなくトゥバ人である、と言う意識を明確に持っています。なので一緒にされるのを嫌う傾向にあります。ただ地域によって温度差はあるでしょうし、このあたりは微妙でなかなか外国人には気持ちが図りかねるところですが)

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力士はシューダク、ソダクと呼ばれるシャツとパンツを着用し、必ずブーツを履いて戦います。
戦う前には両手を大きく広げ緩やかにステップを踏み、「鷲の舞」と呼ばれる踊りを踊ります。
試合には必ず民族衣装を着た介添人(サルクチュ)が就き、力士はシャツやパンツをつかみながら様々な技を駆使して戦います。基本的には膝や手、背中などをついたほうが負けです。日本の相撲と違って土俵は無いので、場外負けはありません。同時に倒れるなど勝敗の判断は微妙な場合は試合のやり直しになります(大抵は客席からのものすごいヤジで再試合になる)

僕はまだフレッシュの技については詳しくないのですが、相撲で言うところの上手投げなどの投げ技や、柔道で言うところの大外狩りなどの足技も良く使われているように思います。相撲では禁じ手の足取りも頻繁に行われるので、結構ダイナミックです。柔道で言うところの肩車のような大技もあり、これが決まると会場はめちゃくちゃ盛り上がります。

勝敗が決まるとお互いに抱き合ったりして健闘をたたえ、敗者は勝者のわきの下をくぐります。そしてダイナミックな勝ち方をした力士には、客席から「こっち!こっち!」と歓声が上がり、力士は客席近くに盛ってあるお菓子の山を手いっぱいに掴み客席に放り投げるのです。
(もともとはブシュタクと呼ばれる乾燥したチーズを撒いていたようですが、現在は小麦粉のお菓子ボールザクや飴なんかも撒いています)

そして勝者は競技場の中心にあるポールの回りを鷲の舞を踊りながら一回りし、席に戻ります。客席はやんややんやの大盛り上がりです。

フレッシュは結婚式や親族間などのちょっとした祝い事などでもやることもありますし、地方の小規模なお祭りなんかでも行われますが、夏の牧民の祭り「ナーダム」などはもう国家的一大イベントで、優勝者には車一台など豪華な景品が贈られます(その後優勝者はその車に乗って街中をクラクションを鳴らしながら走りまくる)

僕は一度モンゴル相撲(ブフ)の研究者の先生にトゥバとモンゴルの相撲のルールの違いを質問したことがあるのですが、トゥバのスタイルはハルハ・モンゴルと同じスタイルなのだと言うことです。僕も不勉強なのですが、モンゴルでもモンゴル国と内モンゴルでは衣装や踊りなどスタイルがまったく違いますし、各地に色々なスタイルがあるようです。
2010年にトゥバの隣アルタイ共和国を訪れた際にも、フェスティバルで相撲が取られ、それは「クレッシュ」と呼ばれていました。自分が知る限り口琴が盛んなサハ共和国でもフェスティバルなどでは相撲が取られているようですし、シベリア各地での相撲のスタイル、というのも特別に研究されるべきジャンルではないかと思います(もう既にあるのでしょうが、日本人ではそんな方にお会いしたことはありません)

また日本と他の様々なシルクロード経由での文化と同様に、相撲に関しても日本の大相撲と大陸の相撲との関係性に深い興味を覚えます。日本の大相撲は古事記に既に記述が見られるようですが、大相撲が大陸を経由して日本に伝わったかどうかは、資料もなくよくわからないようです。(大陸経由だろう、という意見を聞いたこともあります)

ところで、昨年クズルで面白いイベントがありました。
街中を歩いていたらでっかいポスターに朝青龍が四股を踏んだ姿ででているではありませんか。
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昨年夏にトゥバで日本式の大相撲イベントがあったのです。どうもヨーロッパを含めたロシアでは大相撲がちょっとしたブームらしく、そこではトゥバ人以外にもグルジア人やモンゴル人などの力士たちが回しを締め、ビニールで敷かれた土俵の上で戦っていました。(行事はロシア語なまりのつたない日本語でノコッタ、ノコッタと言っていたので笑いましたが) 

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しかしフレッシュが国民的スポーツであるトゥバでは日本の大相撲にも関心が高く、多くの人が朝青龍や白鳳を知っています。そしてある人にはこう聞かれました。「リョーヘイ、何で日本の相撲には外国人の力士がたくさんいるんだ?日本人の力士がモンゴル人の力士に負けたら悔しくないのか?」思わず笑ってしまいましたが、トゥバでは好きな人はそれくらい観客が思い入れをこめて応援するのです。ナーダムなど大きな大会で決勝がトゥバの力士とモンゴル人の力士だったりすると、勝敗のいかんによっては客席でけんかが始まるほどのものすごい盛り上がりになります。


トゥバではお年寄りから幼い子供たち、そしておしゃれ好きの若い女の子たちもがフレッシュを見に行きます。
そう考えると日本の大相撲は、今や一部の年配層の人たちしか見ないものだなあ、この差はいったい何なんだろう?と考えてしまいます。

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子供たちは幼い頃から遊牧地の天幕のそばで兄弟や近所の子供たちと相撲を楽しみ、街中では若者たちがベルトを掴んで技の練習をしているのを見かけることもあります。彼らにとっては、本当に生活に身近な文化なのです。有名な力士は国民的な英雄で、多くの若者たちの憧れの対象です。

はっきり言って、単純に観客動員数で言えばホーメイよりずっと上です。例えばナーダムでトゥバの有名ホーメイジが多数参加した国立オーケストラは数百人単位のホールで演奏しますが、フレッシュは数千人規模のスタジアムで開催され、しかも超満員になり会場外のスクリーンを見に多くの人が詰め掛けるような感じです。やはり古今東西芸術文化よりスポーツのほうが、大衆的には圧倒的に人気なんだよなあ、としみじみと思ったりします。


さて、僕も昨年フレッシュを初体験してきました。
初めの頃はトゥバ自体にも慣れていませんでしたし、やらされそうになるとやんわりと逃げていたんですが、
今年有名ホーメイジたちが一堂に集まる機会があり、そのとき彼らと一緒にフレッシュをやったのです。僕は当然のようにメンバーに組み込まれたのですが、その時は結構やる気でした。だいぶトゥバにも慣れてきていましたし、何を隠そう僕も中学生の頃は柔道部に所属しており、そんなに簡単には負けないぞ、と言う気持ちもあったのです。

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試合の前に僕も鷲の舞を踊り、その後日本式に四股を踏むと、会場はバカ受け。なんとか一勝したのですが、2回戦で僕のドシュプルールと言う楽器を作ってくれたカン・フレル・サーヤに足を取られ敗れました(悔しかった!)

しかしなんだか相撲を取った後は、お互い戦った仲間だね、といった充実感があり、日本人である僕も少しだけ彼らの仲間になれたな、と感じ、今でも思い出すと少し胸が熱くなります。

おかげで最近はだいぶ相撲に興味を持つようになり、日本でも大相撲を見に行こうかなあ、とか考えている始末です。

トゥバに興味をお持ちの方には是非、トゥバの代表的な文化であるフレッシュについても知って欲しいなと思います。そしてチャンスがあったら是非観戦してみてください!


(※私もまだ不勉強なのですが、日本の大相撲と同じく歴史的には神事と関わりがあったはずで、スポーツと言い切れないのですが、やはり体感的に近年ではスポーツとして楽しまれていると感じます。フレッシュに関してはまだ知らないことも多いので、もし何か間違いなどに気付かれた方はお知らせください!)
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by teradaryohei | 2012-05-11 21:32 | トゥバの文化 | Comments(0)

トゥバを知るために④ オットー・メンヒェン・へルフェン 「トゥバ紀行」

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現在トゥバはロシア連邦に属している共和国ですが、1921年から1944年にかけて、23年間だけ独立国でした。
驚くことにその独立国時代、トゥバに外国人はたった一人だけしか入ることが出来なかったのです。
一体それはなぜだったのでしょう?それには複雑な社会的背景があったのです。

本書はその独立国時代、1929年に唯一入ることが出来た外国人、オットー・メンヒェン・へルフェンによる紀行文です。
民族学、考古学を専門とする彼はその知識で養われた観察眼をもとに、トゥバの文化の多面を細部に至るまで描き出し、独立時代のトゥバの政治状況を外の世界に伝えました。
この本はまさに奇跡の報告なのです。

なぜ外国人が入れなかったのか、詳しくは本書を読んでいただくとして、この本は1929年当時のトゥバの状況を生き生きと描き出しています。
遊牧生活など様々な生活様式や風習、シャーマニズムやチベット仏教などの宗教、そして数多くの遊牧国家が興亡を繰り返してきた過去の歴史、そしてソビエト社会主義とトゥバの政治・・・ この報告は世界に対してトゥバの状況を知らしめただけでなく、後年のトゥバの人たちにとっても貴重な資料となったのです。
(トゥバ語は1930年まで文字が無く、それまで役所などの公式文書はモンゴル文語を使用していました。いずれにしろ文字を持たなかった多くの遊牧民は歴史的に自らの手で記録を書き残すことは少なく、当時でもそれほど多くは無かったと推測されます)
また、当時の貴重な写真が多数掲載されているのも、本書の大きな魅力だと思います。

僕はこの本を先日久しぶりに読み返していたのですが、何度読み返しても発見があります。実際トゥバに行って、日本に帰ってきた後で読み直すと、また新たに気付くことがあるのです。

本書の読みどころはたくさんあるのですが、個人的には清朝時代~帝政ロシア、そして共産主義革命といった当時のシベリアの状況の記述に関しては非常に興味深いものがありました。この本ではソビエト社会主義とトゥバの関わりについてかなり詳しく書かれていますので、トゥバ以外にも、ソビエトとその影響下にあった他の諸民族や諸地域との関係を考える上でも、一級の資料なのではないかと思います。

またこの本の訳者である田中克彦先生は、モンゴル研究、言語学者として長きにわたってトゥバに深い関心を寄せられてきた方で、その訳と解説で本書の魅力が一層膨らんでいる思います。「タナカセンセイ」はトゥバの学術関係者の間では特に有名で大変尊敬されており、自分も何度か田中先生はお元気ですか、と尋ねられたことがあります。

僕は基本的に音楽を学ぶためにトゥバに通っているわけですが、トゥバは音楽以外にも非常に興味深い場所であると痛感させられます。
メンヒェン・へルフェンはこの本で、ホーメイに関しては触れていません。音楽に関しても記述はほとんど無いのですが、僕はこの本はトゥバの音楽が好きな方、また、ホーメイをやっている方に是非読んでほしいと思います。単純にトゥバの音楽は歌われている内容も人々の暮らしや自然と密接なかかわりがあるわけですが、過去に様々な歴史と人々の暮らしがあり、その上で今の音楽がある。そう思うだけでも、また新たな魅力に気付くのではないかと思うのです。
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by teradaryohei | 2012-04-08 00:07 | トゥバ関連書籍 | Comments(0)

サンチュ・クズルオール・ユブレイ①

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さて、「トゥバ日記」というタイトルのブログにしてはトゥバでの出来事をあまり書いていないので、少しずつ書いてみることにします。

トゥバの音楽が好きな方なら、「カラ・ドゥルヤー/кара-дуруя」という曲を聴いたことがあるでしょう。
トゥバで非常に親しまれているメロディーのこの曲は、サンチュ・クズルオール・ドンガクビッチ/Санчы Кызыл-оол Донгаквичи(1931-1977) というホーメイジの手によって生まれました。

サンチュ・クズルオールはトゥバ南西部にあるオビュール地区のドゥス・ダグという村で生まれました。昨年の7月にそのドゥス・ダグで彼を記念する小さなフェスティバルがあり、私は参加してきたのでここで数回に分けてレポートしていきたいと思います。

道路の舗装がまだ十分に行き届いていないトゥバでは、地方に向かう場合ある程度ルートが限られてしまいます。今回は首都のクズルから南下し、かつて首都があったサマガルタイの手前で西へ。しばらくするとアルファルトの道はなくなり、デコボコ道を砂埃を上げながら数時間進むことになります。その後途中休憩を含めてクズルから6時間程度でドゥス・ダグ村に到着しました。

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こんな感じの道を延々とすすむ。この程度ならだいぶ道はマシなほう

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途中川で顔を洗う。冷たくて気持ちいい

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休憩所のスタローバヤ(食堂)にて。ボルシとプローフ。トゥバはロシア連邦内でもあるのでボルシは日常的に食べる。プローフはもともとウズベクスタンの料理だがトゥバでもよく食べられている。お茶はお湯にティーバッグと砂糖がぶち込まれるのみ。よくプラスチックのコップで出されるのでコップがお湯の熱で変形した状態で出てくる

ドゥスダグに到着すると今回ドゥスダグ村で何かとお世話してくれた女性の家族(名前は失念)が暖かくもてなしてくれました。
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これで「ちょっとお茶しましょう」の量。こういう場合はめちゃくちゃに食べまくるほうが礼儀正しい

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写真がぼけてますが、子供たちが民族衣装を着てチベット仏教の歓迎のもてなしをしてくれました

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村の中心にはチベット仏教のマ二車

長いので数回に分けます。

最初の写真はサンチュ・クズルオールの肖像画。ギターを持っていますが、過去トゥバではソビエトの民族政策によって伝統的な楽器が制限された時期があり、その影響だと思われます。その時代の写真を見ると、ホーメイジがギターやバラライカを持っていたりします。
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by teradaryohei | 2012-01-22 23:32 | トゥバ日記 | Comments(0)

トゥバを知るために② 草原情歌 ガルサン・チナグ

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この本の作者であるガルサン・チナグはモンゴル西端部のバヤン・ウルギー県に暮らすトゥバ人の家庭に生まれました。トゥバ人はトゥバ国内だけでなく、一部モンゴル国北・西部や新疆ウイグル自治区などにも暮らしています。

そんなモンゴルの辺境の地にトゥバ人の息子として生まれたガルサンは、その後ウランバートルのモンゴル国立大学に入学して間もなく、ドイツのライプツィッヒにあるカール・マルクス大学に留学します。そこで数年間学んだガルサンは、ドイツ語でものを書き始めます。この作品は1993年にドイツ語で出版され、1995年に日本語訳が出ました。

物語は厳しいシベリアの自然の中で遊牧生活を送る少女ドンブクとその父親ショームル、そしてその昔の愛人の女性グルンジャーを中心に、そこに暮らす人々の人生とその悲哀を美しく描いていきます。

この本で特筆すべきことは、まず(モンゴルで生まれたとはいえ)トゥバ語を母語とする作者が、遊牧民自らの視点で物語を描いたということで、その点で日本語に翻訳されているものはこの作品以外に私は知りません。このブログでも今後トゥバ関連の本を紹介していくつもりですが、「トゥバ人がトゥバの暮らしを描いた小説」が日本語で読めるのは現時点でこの本だけだと思います。

原文はドイツ語ですが、物語の中にたくさんのトゥバの言葉が出てきます。そして今泉文子さんの翻訳もとてもトゥバ語に対して注意が払われており、牧民の暮らしぶりが生き生きと描かれています。

私がこの本で最も感銘を受けたのは物語の中で描かれるシャーマニズムに関する描写でした。

シベリアでは太古の昔からシャーマニズムが信仰されており、現在でも深く生活に根づいています。

私もトゥバ滞在の中でシャーマンの儀式もこの眼で見てきましたし、実際シャーマンと呼ばれる人の家族と湖に行ったり、招かれて一緒に食事したりしました。娘さんとは今でもたまにメールするような間柄です。そんな直に接する経験をした上でも、日本人にはシャーマニズムなんてなかなか分かりにくいものです。私は自然を信仰するシャーマニズムの考え方は結構いいな、と思いますし、日本の八百万の神さまの関係とも近い気がします。しかし日本のイタコなど連想してしまうと、本当にうまくとらえられないのです。

しかしこの物語を読んで私は何となく腑に落ちた感じがしました。

シベリアの厳しい自然の中で、時計もなく、太陽や星の位置を見ながら、自然のリズムにしたがって日々暮らしていく。季節が変われば春、夏、冬と住居を移動し、マイナス何十度という中で厳しい遊牧生活を送る。それは自然とともに生きる、というよりも自然そのものとしての生であり、そんな暮らしをしていればきっと「自分が自然と一体である」という感覚がひらく瞬間が、きっと何度もあるのでしょう。そしてその感覚はシャーマンでなくても、そこに暮らす人であればきっと感覚を共有できる部分があるのでしょう。
それは都会に暮らす現代人にはきっと想像も出来ないことなのだと思います。

作者について少し調べていたら、どうも親がシャーマンのようです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Galsan_Tschinag

なるほど、と思うくらい本作ではシャーマニズムに関する描写が緻密です。


またこの作品では、大国に翻弄されてきたトゥバの人たちの姿も描かれています。巻末では物語で描かれる複雑な社会背景も解説されており、いっそう理解が深まると思います。

正直この本は、遊牧民の暮らしなどに興味がないと少しとっつきにくい内容かもしれません。しかし何度かトゥバに訪れ、その暮らしを少しだけ垣間見てきた自分にとっては大変貴重な読書体験であり、読みながら何度も、胸にこみ上げてくるものを抑えることが出来ませんでした。


(写真上がドイツ語版。下が日本語版。ネット上に大きい写真がありませんでした)
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by teradaryohei | 2011-12-29 00:49 | トゥバ関連書籍 | Comments(0)

12月の演奏予定 シルクロード講座/南池袋ミュージック・オルグ

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12月は10日、11日と続けて講演、演奏があります。

12月10(土)
東京狛江市を拠点に活動されている日本シルクロード文化センター様主催の講座で、講師をやらせていただくことになりました。
この日は私の演奏を中心に、トゥバの概要説明~トゥバ滞在時の報告などをお話しするつもりです。
またこの講座には中央アジアの歴史に興味をお持ちの方が多くいらっしゃいます。この地域の歴史は資料が少なく、複雑です。自分も勉強中のトゥバの歴史について踏み込んで意見交換できればと思っています。

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http://silkroad-j.lomo.jp/

日本シルクロード文化センター主催
シルクロード講座&サロンのお誘い

シルクロードの歴史に興味をお持ちの方、シルクロードを旅したいと思っている方、
日本シルクロード文化センターでは、毎月1回シルクロード講座&サロンを開催しております。
ラクダに乗った隊商が沙漠を行き交うというイメージとはひと味違う、シルクロード諸民族の歴史、現代シルクロードの真実をともに学び、そこに住む人々の生活や文化を楽しみませんか。どうぞお気軽にご参加ください。

第27回:2011年12月10日(土)13:00~16:00  狛江「みんなの広場」
1. シルクロード講座(13:00~14:30)

「トゥバ共和国の伝統音楽と文化
~ホーメイ・コンサートと現在のトゥバについての報告~」

講師:寺田亮平さん(トゥバ音楽演奏家)

南シベリアのトゥバ共和国をご存知ですか?
寺田さんは、トゥバの音楽に魅せられ、1999年初めてホーメイを習い、国内で様々なワークショップを受けながら鍛錬を積んだ後、2010年より毎年夏の3ヶ月トゥバ共和国の首都クズルに滞在。トゥバ第一線のミュージシャンと交流しながら滞在修行する生活を続けています。
生演奏の合間にトゥバの概要、撮影してきた写真をご紹介します。

寺田さんのブログ
http://tuvanikki.exblog.jp/

2.質問と交流タイム(14:30~16:00)
飲み物も用意いたしますので、みなさんの経験や夢など大いに交流しましょう。

参加費:会員 1,000円、一般 1,500円
場所:「みんなの広場」(小田急線和泉多摩川駅から歩いて5分)
狛江市東和泉2-20-12 えのき2番館103
Tel:03-3480-6794

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12月11日(土)
南池袋ミュージック・オルグにて若手のすばらしいミュージシャンの皆さんと対バンです。
僕も大変楽しみにしています。

2011年12月11日(日)

OPEN: 18:30 / START: 19:00
ADV / DOOR: 1800円 (ドリンク別)

LIVE: 福原希己江 / NRQデュオ【吉田悠樹(二胡)+牧野琢磨(guitar)】 / 寺田亮平 / Temple Book

http://minamiikebukuromusic.org/

南池袋ミュージック・オルグ
〒171-0022 東京都豊島区南池袋1丁目20-11 B2 mail:info@minamiikebukuromusic.org tel:03-5954-4909

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写真は10/1、神保町の路地と人での演奏の模様です。
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by teradaryohei | 2011-11-19 00:24 | ライブ情報 | Comments(0)

トゥバデイ 路地と人 vol.2 旅の報告会とコンサート

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экии!  (エキー! トゥバ語でこんにちは!)

今年もトゥバでの3ヶ月の滞在報告イベントをやります。
写真を見ながらのトークを中心に、前後では私が今回勉強してきた曲を中心に演奏します。
前回好評だったカフェ・トゥバとして、今回も簡単なトゥバのお茶や食事も用意します。
会場の「路地と人」はとても素敵なスペースですよ!

トゥバのことよく知らないけど興味がある方、最近のトゥバの現地情報など興味のある方、トゥバの伝統的な音楽やホーメイを聴いてみたい方、気軽に遊びに来てください!

манап тур мен! (お待ちしてます!)

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тыва хүнү орук биле кижи де!  2дугаар

トゥバ・デイ路地と人 vol.2

4月に開催されて好評だったトゥバ・デイの第2弾!

トゥバという国をご存知ですか?
アジアの中央に位置し、隣接する民族の文化が入り混ざりながらも、
独自の文化を形成している「トゥバ共和国」。
トゥバ人の間に伝わる伝統的な歌唱法は「ホーメイ」、「フーメイ」として知られています。

路地と人では10月1日に、今年もトゥバでの3ヶ月の滞在を終え帰国した音楽家の寺田亮平さんをお招きして「トゥバ・デイ」を開催します。
スライドを見ながら寺田さんの3ヶ月の滞在報告を中心に、トゥバの伝統音楽の演奏をお楽しみください。
会場では現地で撮影してきた写真の他、書籍など各種トゥバグッズの展示などを行います。またカフェ・トゥバとしてトゥバの簡単なお茶や食事を用意します。是非気軽に遊びに来てください。


会場:路地と人
rojitohito.exblog.jp
住所:東京都千代田区神田神保町1‐14 英光ビル2階 地下鉄神保町駅A5出口より徒歩2分

★カフェ・トゥバ★
・15:00〜18:00 入場無料
 メニュー/スットゥグ・シャイ(塩入のミルクティー)
      ブダー (羊のスープ)
      他、メニュー検討中

★ホーメイ・コンサート★ 入場料1,000円

・18:00〜18:30
 ホーメイ・コンサート1部

・18:30〜20:30
 トゥバ・トーク&スライド・ショー
 トゥバの自然や暮らしを写真を観ながらお話します。

・20:30〜21:00
 ホーメイ・コンサート2部


★トゥバ共和国★
アジアの中央部、シベリア南部に位置する共和国。ロシア連邦に属する。人口約30万人。首都はクズル(кызыл)。面積は170,500k㎡(北海道二つ分ほど)。住民の約7割がトゥバ人。公用語はトゥバ語とロシア語。トゥバ語はテュルク語系の言語。宗教はシャマニズムとチベット仏教が盛んである。主な産業は畜産、羊毛獣捕獲、鉱工業。元々は遊牧民だが、現在では街に定住しているトゥバ人が多い。

★ホーメイとは★
ホーメイ(フーメイ、хөөмей)とは、トゥバ人の間に伝わる伝統的な歌唱法で、「喉歌」や「倍音唱法」と呼ばれることがある。ホーメイに似た歌唱法はアルタイ山脈周辺の民族の間にいくつか見られる。有名なのは、モンゴルのホーミー、アルタイのカイ、ハカスのハイなど。

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出演者: 寺田亮平 (トゥバ音楽演奏家)

1999年はじめてホーメイを習う。
国内で様々なワークショップを受けながら鍛錬を積んだ後、2010年より毎年夏の3ヶ月トゥバ共和国の首都クズルに滞在。トゥバ第一線のミュージシャンと交流しながら滞在修行する生活を続けている。
ホーメイ、トゥバ語による伝統的な歌の他、伝統楽器イギル、ドシュプルール、ショールを演奏する。
師匠はモングンオール・オンダ-ル(チルギルチン)、アヤン・オール・サム(アラッシュ・アンサンブル)、
アイドゥン・モングッシュ(トゥバ・ナショナルオーケストラ)他。
現地でのトゥバの伝統的な歌の聞き取りや翻訳作業、トゥバ各地方での撮影などのフィールドワークも行っている。

トゥバ国内・及び周辺シベリア諸国での演奏歴多数。
2011 7/8・9  サンチェ・クズルオール記念コンサート (オビュール地区ドゥス・ダグ)
2011 7/14  野外フェスティバル ウストゥ・フレー2011 (チャダーナ)
2010 7/16 野外フェスティバル エル・オユン2010 (アルタイ共和国)、、、など

東京でもトゥバの伝統的なスタイルで演奏活動を行っている。

連絡先: dtxmain(at)gmail.com
ブログ:「トゥバ日記」 http://tuvanikki.exblog.jp/
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by teradaryohei | 2011-09-24 11:24 | ライブ情報 | Comments(2)

トゥバの言語状況

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トゥバの言語状況は、結構複雑だと思います。僕はちゃんとした学者ではないので
少しいい加減かと思いますが、自分が今まで経験した範囲で説明してみたいと思います。

トゥバ共和国での公用語はトゥバ語とロシア語です。
トゥバ語はテュルク諸語(トルコ系の言葉)の1つで、トゥバ民族が話す言語です。

かなり乱暴な説明かもしれませんが、
トルコ語系の言語をベースに、歴史的にかかわりの深いモンゴルからの借用語と、
現在所属するロシアからの借用語が結構入っている言語、という感じでしょうか。

殆どのトゥバの人たちが日常的にトゥバ語を話していますが、
ロシア連邦に属するトゥバ共和国では、殆どのテレビ放送や役所など公式文書、
看板など公共的な場ではロシア語が使用されています。
近年の正確なデータは持ち合わせていませんが、住民の役3割がロシア人といわれており、
トゥバに住んでいるロシアの人たちは基本的にトゥバ語を理解していません。
特にトゥバの首都であるクズルではロシア人の人口比率が高く、ロシア人が経営する店もたくさんあります。
そんなこともあるせいか、クズルではトゥバの人たちは基本的にロシア語とトゥバ語の
2言語を日常的に話します。トゥバ人どうしでも、一度の会話の中で
トゥバ語とロシア語を頻繁に切り替えながら話すこともしばしばです。

逆に地方に行くと都市にもよりますがロシア人の比率がぐっと下がるので、
かなり高い頻度でトゥバ語を話しています。ロシア語が下手なトゥバの人もそれだけ多いようです。

僕自身クズルでトゥバの人に「トゥバ語を勉強している」というと「田舎に行けばいいのに」と
結構な人に言われました。

また世代間でも違いが様々で、クズルでは若い世代は特にロシア語を多く話していると思います。
これは将来高等教育を受けさせたいと願う親がトゥバ人の子をロシア語学級に入学させる例が多く見られることも関係しているようです。そういった若者達はトゥバ語が苦手です。日本人である僕がトゥバ語を勉強していることに驚く若者にたくさん出会いました。
何人かの若者は「なんでトゥバ語とか勉強してるの?いらないじゃん!」とすら言っていました。

また僕のトゥバの友人の一人(23歳くらい)の母親はソビエト時代に政治的理由でトゥバ語の教育を受けさせてもらえなかったと言っていました。詳しくは判りませんがそのような時期もあったようです。なので年配者でもロシア語を母語としてトゥバ語をあまり話さないトゥバ人も少なからずいると思います。

というように本当に地域、世代間で様々だと思います。

それと、基本的に英語はまったくと言っていいほど通じません。解するのはごく一部のインテリ層と学生のみです。


間違い、指摘などありましたら連絡ください。
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by teradaryohei | 2011-09-14 02:11 | トゥバ社会 | Comments(0)


トゥバ音楽演奏家の寺田亮平のブログ。ロシア連邦トゥバ共和国の現地情報、社会、文化、ミュージシャンなど紹介します     dtxmain[at]gmail.com


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